なぜブログが可でTwitterが不可だったのか、「誹謗中傷が使われる恐れがある」とされる理由を聞いて大半の人が首をかしげるかもしれませんが、こうしたメディアを使うことで政治が身近になり、議員や政党の政策そのものを直接訴えることは、関心の高い国民が直接聞くことができ大きなメリットだと思います。
このようなメディアを直接政治家が使うことにより、マスコミの存在が大きく変わろうとしているよにも感じます。マスコミが自発的に変わろうとするのではなく、結果的に立場や役割が変わってきている、という意味です。
政府与党のNo.1とNo.2の政治とカネの問題は徹底的に明らにすべきですが、最近の普天間の問題を取り上げるマスコミを見るに、報道される内容の稚拙さに失望しています。普天間問題が約束した5月末に決着することが無理であることは自明で、政府が(今更ではあるものの)様々な案を検討・議論している姿を迷走というのは、鳩山政権が結論を出せない優柔不断であることと無意識に結びつけているように受け取れます。
何よりも進展・結論でないことをわかっていてマスコミが毎日報道していることで、どんなに放送時間や新聞紙面を無駄にしているか… ギリシャ・ショックやG20 財務相・中央銀行総裁会議、タイの反政府デモ、イギリス保守・自民連立政権、などなど海外情勢の動きの速さを正確に詳細に伝えることに時間とスペースを使うべきだと思います。
自国のリーダーの欠点を見つけて指摘することが、果たして国益になるのか、政治が国民に近くなったからといって、ゴシップのように扱うのではマスコミの報道を見ている側としては、少しうんざりしてしまいます。
福沢諭吉の「学問のすゝめ」の初編にこんなくだりがあります。
「西洋の諺に愚民の上にからき政府ありとはこの事なり。こは政府のからきに非ず、愚民の自らの招く災いなり。 愚民の上にからき政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。故に今、我日本国においてもこの人民あり てこの政治あるなり。」
昨日、小沢一郎氏が参院選に立候補するスポーツ選手を連れて一緒に会見していましたが、私たちが愚民であるか否か、良き政府を作るか意思があるか否か、今夏の参院選で結論を出すだけです。そのためにもマスコミには狭い了見で報道するのではなく良民であるべきための報道を切に願うばかりです。
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